最近あちこちで聴かれるようになったSTEM、またはSTEM教育の語。
会社で導入した英語発音講座の米国在住日本人講師もしきりにTwitterでSTEMとつぶやいていますし、昨日は販促物の展示会会場で行われたセミナーの中でもこの言葉が飛び出しました。
STEM、STEAM とは?
STEMはScience, Technology, Engineering and Mathematicsの頭文字を取ったもので、科学、技術、工学、数学のことです。
今後の、というより今すでにその時代となっているとも言えますが、産業界で活躍するために極めて大切な力であり、単に理数系が得意というだけでなく自発性や創造性、問題解決力にも繋がっていく能力であるため国力をも左右すると言われています。
さらに最近はA(Arts)を加えたSTEAMが重要と言われるようになっています。
Artは美術の意味ですがArtsと複数形になっています。
つまりリベラルアーツのArtsですね。
リベラルは自由の意味ですからリベラルアーツで「人を自由にする、束縛から解き放つための学問、教養」のような意味となります。
特にSTEMの4科目と並べて使われているので、ここではSTEM以外の文系の学問(法律、経済や芸術など)を指すと考えたらよいでしょう。
日本はSTEM教育で後塵を拝していると言われていますが・・
上述の通り国力を左右することに繋がりますから米国を始めとする諸外国は国家が主体となって予算を配分し力を入れていますが、その点日本はまだまだ遅れていると言われています。
とはいえその遅れているとされる日本でも小学校におけるプログラミング教育は始まっており、昨日のセミナーの講師のお子さんは6歳でもうiPadでプログラムを組んでいるそうです。
すごい!とか思ってしまいますが考えたら当たり前です。小学校に上がる前からゲーム機を上手に操れる子供は多いし、もっと言えばこの年代で上手か下手かの差は子供の能力の問題ではなく親が自由にやらせているか否かに起因します。
自由にiPadで遊ばせる環境に置かれた子供はノンコードのプログラムならひょいひょいと作ってしまうことに不思議はありません。
我が国は国語を満足に習得する前に英語を教えるとはなにごとだ!という国ですから、STEMあるいはSTEAM教育の遅れはますます開いていく可能性はあるものの、ことコンピューターに関しては学校の教科に指定されるか否かに関わらず置かれた環境さえ整えば子供はどんどん力を伸ばしていくはずです。
企業における現状はどうでしょうか
昨日のセミナーの先生は10年も経てば企業の新入社員はプログラミングできるのが当たり前の時代になると言っていました。
それはそうです。
6歳でプログラミングに触れる時代ですから、奥手の子供だって学校を卒業するまでには相当程度のプログラミング力を持つようになるでしょう。
ちょうど今の大学生が誰でもワード、エクセル、メール、ウェブブラウザを操作できるのと同じです。
ご自身が50代半ばとおっしゃっていた先生の話はふるっていて、昔自分が若かったころには会社のフロア150人にワープロが3台くらいしかなかった。
当然管理職でワープロ、パソコンを操作できる人は皆無。
これ、某大手コンピューターメーカーでの話ですよ。
そうなると管理職が文書を作成するときには手書きで下書きしたものを女性(僕が社会人になった頃は総合職・一般職などという言葉すらなく女性は補助業務と決まっていた時代です)にワープロで清書するように指示することになる。
そのうちワープロ、パソコンを扱える人が増えてくると女性たちは上司に対して「このくらい自分でやれるようになりなさいよ」と心の中で毒づくようになる。
まあそりゃそうですよ。
清書する間は自分の抱えている仕事がストップするわけですから。
これと同じことが10年後にプログラミングの世界で起こる。
部長に対して「プログラムくらい自分で作れよ、部長」という時代が間違いなくやってくるという話でした。
若手・中堅社員にSTEM学習意欲を持ってもらうことはできるでしょうか
もはや中高年だからプログラミングは無理などと言っていられません
ということは、今後定年65歳〜70歳あるいは定年廃止の時代を見据えると、現在55歳から60歳の人であってもプログラミングスキルを持っておかないと会社を去る最後の数年間はお荷物扱いされることになります。
それまでどんなに勤務先の会社に貢献してきた人でも終わりよければすべて良しの真逆の状態で会社を去ることになってしまうわけです。
ましてや50歳よりはるか手前の人たちにとってプログラミングは必須科目
40代の人にとってはまだ10年以上会社生活を残している時点でプログラミングのできない社員は使えないとの烙印を押される事態になってしまいます。これは由々しきことのはずです。
ところが多くの40歳の人にこのような危機感はありません。
それどころか20代の若手社員にもこのような気持ちになっている人はいないでしょう。
人間は自分が生きている今この場所の環境が死ぬまで続くと考えてしまう動物だからですね。
だから西内啓さんの本がこれだけ売れていたり、スウェーデンのハンスロスリング博士がファクトフルネスの言葉を生み出してから何年も経つのに、統計学を勉強しろというと僕ら営業にそんなものは必要ないと頑なに拒んだりするのです。
日本国内市場だけでは先々の成長はできないと分かっていながら自分の仕事は今のまま変わらないと思うから英語の勉強もしない。
ましてやプログラミングの勉強なんて・・・
でもそれを放置していたらその社員たちは10年後にお払い箱にされてしまう。
そうならないようにするには今から勉強を始めさせなければならない。
でも本人たちにそのモチベーションはない。
どうしたらよいでしょう。
人事制度や評価制度の改定して勉強する人を厚遇する、配置転換では勉強する人を重用したり早く出世させたりする、日頃から繰り返し勉強の必要性を説く、社外のよく勉強している人との接触で刺激を与える・・・これらの複合技しかないのでしょうね。
そもそも私自身だってこんな文章を書いていながらプログラミングの世界については大昔にBasicを勉強したりCOBOLを勉強したりして以降、何十年も触れていませんから人のことは全く言えません。
自分自身を実験台にして、
「人間どういうアプローチをすれば勉強するようになるのか」
トライアルをやっていくしかないのかな。
今回もまとまりのない終わり方ですみません。
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