「逃げ恥」についてシャープさんが投稿したSNSに教えてもらった、仕事の新たな観点

SNSサイト「コミチ」で シャープ さん(@SHARP_JP)の記事を読みました。正月に「逃げ恥」の特番を見て、「多様な人間をだれひとり排除せずともこんなにおもしろい物語が作れるのか」と感じた話から仕事の話につながっていく、感性豊かな方のテキストを読むのはとても面白い!

シャープ のSNS

電気・電子製品を生産販売されているシャープのtwitterアカウントは、企業アカウントとして長い間頭抜けて人気を集めているものと思います。企業がSNSを利用し始めた頃は、ほとんど宣伝の域を超えることがなかった企業ばかりでしたが、シャープのtwitterは読む人から見て押し付け感のない投稿が注目を集めていました。
たとえば、業績不振からの大型リストラが発表された時には「(´-`).。oO( きょうは眠れるかな…)」とツイートしたり、台湾企業の傘下に入ることが発表された時の「\なんて日だ!/」など、当時は企業の公式アカウントでここまでやっていいの?と心配になるような投稿が人気となり、先ほど見たらフォロワー数は80万人を超えています。

その後、おそらくご担当の方は人事異動などで交代したものと勝手に想像していますが、今日、リツイートで回ってきた記事を読み、その面白さにご担当は変わってもアカウントのスタンスは変わらないのだなと嬉しくなりました。今でこそ、そういう企業は多くなっていますが、各社がSNSを始めた頃はSNSの中で商品特性をアピールし、商品認知を広げたり、プロモーション企画の宣伝に使ったりするものばかりでした。そんな中でシャープはその頃すでに直接的なマーケティングとは一線を画したSNS活動を行なっていたと思います。

今回、シャープさんのSNSに対するtwitterのリツイートで読んだ記事から「コミチ」のサイトまで追いかけて読んでみました。「コミチ」は、マンガ家の「作る」「広げる」「稼ぐ」を支えるプラットフォームと紹介されています。
そこに、「シャープさん(@SHARP_JP)の寸評おそれいります」という記事を毎週アップされていることを知りました。その中の最新投稿が「逃げるは恥だが希望がある」というものです。

「逃げ恥」は、少数派や弱者みんなを希望の物語につなげている

記事の内容は、今年のお正月は世間に後ろめたさを感じることなく堂々と寝正月を貫いた中で、ドラマ「逃げるは恥だが役に立つ」のスペシャル回を観たことで感じた気持ちを紹介するというもの。ドラマに感銘を受けたとコメントされているのだが、それは「多様な人間をだれひとり排除せずともこんなにおもしろい物語が作れるのか」という感銘とのこと。登場する人物は少数派であったり弱者であったりするのに、ドラマは彼らのの事情をひとつもこぼすことなく希望の物語につなげているのだそう。私はこのドラマを一度も見ていなかったので、シャープさんの言っている意味はもちろんわからないのですが、早速、楽天ブックスで電子版のコミックスをとりあえず第1巻を購入しました。

それはそれとしてシャープさん(@SHARP_JP)の投稿の面白さはこの先にあります。
投稿テキストの中で、シャープさん(@SHARP_JP)は、仕事の中で、ユーザー、ターゲットを設定して、たとえば30代ワーママ向けの家電とか、M1層を狙ったコマーシャルとか、都心部在住の高感度なペルソナだとかを想定してマーケティングを進めてきたと書いています。これはマーケティングの本を紐解けば必ず書いている内容で、マーケの講習会に行っても必ずこの手の話になります。シャープさんは、こういう仕事をあたりまえのようにこなしてきたけれども、それはとりも直さず想定した人間以外を排除することと気づいたとありました。

「排除せずとも伝わる。全員が選ばれる。全方向にやさしいは成立する。希望の物語は私に、これからの仕事の希望まで示してくれた。」と書いています。

マーケティングはとんがった方向へ進んできた

私なども、昔、B to Cの仕事をしていた頃は、F2とかF3とか言っている連中に、性別と年齢層だけで嗜好に共通項はあるのか、仕事を持っているお母さんというだけでみんな同じと思うな、などと言っていたものです。新製品を出す段になると、常に目標販売数はいくつみたいな話になるので、普段価値観の多様化とか言っておきながら、いざ販売・マーケティングになるとなぜ消費者をひとくくりにして数字を求めたがるんだ、などとよく話していました。結局のところ、これは消費者をもっと細分化してターゲットを絞れと言っていたことに他なりません。

よく、ターゲットが明確で、しかもそれがかなり狭い範囲の消費者像をターゲットとしている場合に「とんがった商品」などと言います。これは万人受けする商品開発を狙っても成功しない、もはやマス市場は存在しないので対象は狭くても確実に刺さるマーケティングを、との考え方からくるものです。マーケティングとはそもそも売る側の論理ですし、時代とともに変わっていくことはよいし、当然ともいえます。

一方で買う側の立場に立ったときに、A社がある「とんがった商品」をヒットさせ、B社、C社が追随していくケースで考えると、このマーケティングは「とんがった商品」を受け入れる消費者層以外を切り捨てていることになります(「とんがった」を英語にすると、まさにsharpですね)。

このときにB社は別の「とんがった」市場を狙い、C社もA社、B社と別の「とんがった」市場開拓に動けば、結果として様々な消費者がカバーされることになりますが、現実はみんなA社に追随していきますからね。シャープさん(@SHARP_JP)が書いているのもこういうことなのだろうと思います。

例をあげると、Apple社がiPhoneをヒットさせてからのスマホブームもそうですね。携帯電話メーカーとキャリアはこぞってスマホにシフトしていきました。私の親しい友人で昨年の秋頃までガラ携を使っていた男がいましたが、彼のようなスマホいらずのガラ携派は切り捨てられたとも言えるわけです。

テレビ番組もそうですね。お笑い芸人を中心とするバラエティ全盛の今、製作に時間と労力をかけたドキュメンタリーを見たいと思っている人たちは、見る番組がないと嘆いていそうです(実際、時々そんな声がメディアに紹介されたりもしています)。映画だって同じ。

最近、経営の世界の決まり文句のように使われている「選択と集中」などは、もう言葉にはっきり出していますね。

もちろん、企業は儲けなければなりませんから、売り上げを軽視していたずらに顧客層を拡げたり商品ラインアップを増やしたりはできません。経済合理性がすべての解と言われればそうなのでしょう。

消費者の嗜好をグルーピングできるのか

でも働く側としても、次に何が売れるのか、どの層を対象に開発していくか、を突き詰めて考えていくだけというのも、くたびれるだけで、いつか面白さを感じられなくなりそうな気がします。

先日、必要なものがあって、東京・お茶の水の楽器店街に出かけました。店によってギターが1階に並んでいるところ、管楽器が並んでいるところなど様々で、この光景は昔と変わりません。階段で2階まで上がっていくと、何の機械を試しているのか素人の私には目的不明ですが、コードでつないだ店のギターをひたすら弾き続けている若い男性がいたりもしました。これも30年前、40年前と変わらぬ景色です。大学生の我が家の娘などはおそらく1時間スマホの画面を見ずにいることはできないと思いますが、他方でこういう人もいる。彼もこれから年齢を重ねてこの世界から離れていくかも知れませんが、ちゃんと次に若い人がこの世界に入ってくるのでしょう。
こういう世界のマーケティングもそれはそれでとても楽しいことのように思えます。

音楽以外にも、演劇、絵画、造形、旅行など文化的な分野では、もともと個人の好みが千差万別なことが当たり前の世界でしたから、プレイヤーあるいは提供企業も多岐にわたる分野で活動しています。来年の大河ドラマが北条義時だからといって旅行業界の企画が伊豆一色になって、湯布院の温泉や富良野のラベンダー観光に誰も行かないなどということはありません。いずれの業界も長い文化の歴史を積み重ねてきた結果、今の姿になっていることを考えると、テレビや映画も今後時間が解決することかも知れません。

考えたら、そりゃそうだという話なのですが・・。たとえばYAMAHAが「今度発売するトランペットは、ビッグバンドジャズのプレイヤー向けの製品」なんてことは言いませんね。そのトランペットはクラシック奏者のためのものでもあるしジャズプレイヤーのためのものでもある。もちろん歌謡曲のバックバンドのためのものでもあるわけです。

ストップ!いやいや逆にトランペット奏者一人ひとりで好みは違っているのではないか?その通りです。同じジャズトランペッターといえども奏者が違えばチューニングは変わってくるでしょう。ちょうどイチローと松井秀喜でバットのチューニングが全然違うように。

一見すると、みんなを相手にしているようでいて、その実は一部のとんがった層をターゲットにするどころか一人ひとりの違いにまで丁寧に合わせていっているわけです。考えれば当たり前です。上で、仕事を持っているお母さんというだけでみんな同じと思うな、と書きましたが、また消費者をより細分化していかなければと書きましたが、どんなに細分化したところで好みの傾向が集約できるわけがありません。たとえば「六本木ヒルズのマンションに暮らしている、ご主人がITスタートアップ企業の創業者で、自分はファッション、フード、生活スタイルの情報発信動画で多くのフォロワーを抱えている人たち」というグルーピングをしたとして、その彼女たちが選ぶ家電製品でもよいですし、食器や洋服でもよいですが、それらに共通項があるのかといえば十中八九違うでしょう。違う人なのですから。

お客さまを選ぶ? お客さまに選ばれる?

もしかしたら、ターゲットを絞るとかペルソナだとか言っているのはマーケターの自己満足の世界に過ぎず、現実にモノが売れている要因は全く別のところにあるのではないかという仮説も成り立つような気がします。消費者というのはマーケターがいくら知恵を絞っても理解できるものではないのではないか。それであればシャープさん(@SHARP_JP)が「排除せずとも伝わる。全員が選ばれる。全方向にやさしいは成立する」と書いているように、ことさら売る側が消費者を選別することはない、むしろそれは不正解なのかも知れません。

逆に、モノやサービスを提供する側は、ターゲットうんぬんを考えるよりも、自分がやりたいことをする、自分が欲しいものを作る、そのスタンスが正しいのではないか。
この論法に立つときによく話に出されるのはスティーブ・ジョブズだと思いますが、彼はまさに自分が欲しいものを生み出していくことを繰り返しただけで、マーケティングで対象層を絞ってiPhoneを開発してはいない、Macを開発してはいない。自分のやりたいことに忠実に生きた人と言われています

私がよくブランドの話で引き合いに出す(この話もいつか書きたいと思います)フェルディナント・ポルシェやエンツォ・フェラーリはお客を選んだりはしていなかったでしょう。彼らは自分の作りたいクルマを作り続けた。そのクルマを、彼らをお客が選んでいって今につながっているのだと思います。今でこそブランドが確立し、お客が選ばれているようにも見えますが、彼らはそんなことをしてこなかったのではないかと思います。お客がポルシェを、フェラーリを選んだのでしょう。

自然体で仕事ができれば、それが楽しいし、面白い

さて電子版を購入した「生き恥」は第1巻を読んだだけではとてもシャープさん(@SHARP_JP)の心持ちには至りませんでした。ただ変に力を入れることなく読み進むことができる不思議な感覚の漫画だったと思います。登場人物が自然体で力が入っていないからでしょうね。2巻、3巻と読み進んでいけばシャープさん(@SHARP_JP)の気持ちに追いつけるかな。

恋愛が、あの娘(男)に好かれようとあの手、この手を考えても結局は無駄に終わり、自分の本質を理解し、好きになってくれる女性(男性)と結ばれるのと同じように、こちらがお客を選んでその嗜好に合わせていくより、自分の作りたいものを作る、差し上げたいサービスを提供する中でお客さまに選んでもらうという方が仕事への取り組み方として自然体なのだとすれば、そういう仕事の方がやっている方もずっと楽しく、面白いように思います。

シャープさん(@SHARP_JP)も、投稿の結びに次のように書いています。「だれかにやさしいでなく、だれにもやさしい。たぶん、いまを生きるわれわれに必要とされる物語はそこにあるのだろう。そして私もそういう仕事がしたい。これは新年の抱負ではない。労働の希望だ」

シャープ、いい会社ですね。

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この記事を書いた人

山田文彦
 株式会社クレハトレーディング代表取締役社長
 社員の力をどうやって高めていくか? これが毎日考えているテーマ
 日本一の会社にしたいと真面目に考えています

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