プロローグ
前回の結びに以下の内容を記述しました。
つまり「高潔な理念」が「こういう未来を作りたい」ということだと定義すれば、それは目に見える、形にできるものだということなのです。
「予算必達」と「高潔な理念の実現」の違いは目に見えないものを追いかけるか、目に見えるものを追うのかの違いなのです。
「予算必達」というのは掛け声としては素晴らしいし、営業パーソンとしての心意気、責任感が表れている言葉です。
ただし「予算」はこの目で見えないものですからどうやって「必達」させるのか、実は難しいものです。
それに対して「こういう未来を作りたい」というのは具体的なイメージを頭に描くことができますから、あれこれとアイデアを考えやすい。
売上げや利益予算に足りないぞ!となったら・・・
もう少し具体的なことを申し上げましょう。
たとえば年度末が近づいてきて予算に売上げが(利益でもよいですが)あと3千万円足りないと仮定しましょう。
営業担当なら誰でもどうやって3千万円を埋めるかを考えます。ところが3千万は目で見えないものですからこれを視覚化しなければなりません。
B to Bの商売で考えると、まず足りない3千万円を顧客Aで15百万円、顧客Bで10百万円、顧客Cで5百万円のように分解します。
でもそれだけではまだ視覚化しきれていないので、今度は顧客Aの15百万円をさらに分解してa製品で7百万円、b製品で5百万円、c製品で3百万円のように分解します。
さらにa製品は通常1万円だけれど期末になって急にa製品を700個買って欲しいと言っても顧客Aの購買担当もYESとは言ってくれないだろうから7千円の特価を提案しよう、そうすると7百万円作るには1000個売らなければならないぞ、とだいぶ目に見える形に近づいてきます。
ここまでくればあとは顧客Aにどんなセールストークをするかの作戦を練る段階です。さらに視覚化を進めるわけです。
で、いよいよお客さんのところに訪問して商談する、これが営業の流れですね。
ここでのポイントは、せっかく視覚化したけれどもそれは自分の頭の中の想像でしかない点です。
だからたいていはその通りにはいきません。
1000個買ってもらうつもりが200個しか買ってもらえず1400千円にしかなかったりします。
そうすると残り4600千円を作るために顧客Dと顧客Eが登場し同じように分解して作戦を立てるわけです。
営業力のある人はこういう作業がうまいですね。またこのようなことを考えてお客さんと折衝するのが好きな人でもあります。
僕も実際面白い仕事だと感じていました。
「こういう未来を作りたい」は・・・
これに対して「高潔な理念の実現」、やさしく言うと「こういう未来を作りたい」は、たとえば自動運転のクルマが街中に溢れていておばあちゃんが道路を渡ろうと待っているとそれを検知して停止している光景を思い浮かべる。
そしてその実現のために研究開発に勤しむわけですが、これは何も技術者の特権ではありません。
たとえば先程の例でいえば、顧客Aの工場をより衛生環境が整った社員たちが今の半分の人数しかいない、みんな力仕事から解放されてニコニコと働いている光景をイメージして生産機械を提案したりロボットを提案したりするわけです。
顧客Bが今の工場が手狭になったので新しい立地を探しているのだったら、◯◯県のこのあたりに土地を見つけてこんな工場を立てる、などを想像して取り組んでいくわけです。
こちらのケースでは初めの段階である程度の視覚化ができています。
ただその実現には越えなければならないハードルがいくつもあり、場合によっては一大研究開発が必要だったりするので時間のかかる場合もあります。
ただ作りたい未来像は初めから視覚化されているのでそこに到達するのに時間が掛かろうと苦労が多かろうと楽しそうな仕事ではあります。
「予算必達」と「こういう未来を作りたい」はアプローチが違う仕事
以上述べたように「予算必達」は目に見えない目標を一つひとつ分解して視覚化していく作業が必要ですし、「こういう未来を作りたい」は目指す姿は視覚化されているけれどその実現への道のりは地図に書いていないわけです。
これらはどちらが必要だとかどちらが重要かという問題ではありません。
どちらが面白いかについても人により、得意不得意により変わってくるものでしょう。
人生も仕事もグラデーションなのですからゼロイチの考えでどちらかを選ぶのでなく、どちらも大事、どちらも必要です。
ただはっきり言えるのはこの2つは取り組みかたのアプローチがまったく違うことです。
上で述べた通りですね。
だから「こういう未来を作りたい」の議論をしているときに、チームメンバーの間でよりイメージを共有化するために売上げや利益の数字をはじいたとしてもその数字が「必達目標」との考えかたにはならない、というより「必達」の考えかたにはそぐわないのです。
だから議論の最中に「この数字は必達かどうか」を考えてはいけない。
現代において企業が社会に対して将来計画を発表すると必ず数字の説明も求められますしいつの間にかそれが社会に対する公約になったりします。
社会がそのような構造ですから企業の中でも「実現したい未来」の議論の中に「目標必達」が混ざり込んでしまうことが多々あります。
でも、そうなると本来進めたかった議論とは違う方向に話が行ってしまうもの。
僕たちが将来像を議論するときには十分注意しなければならないところだと思います。
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