プロローグ
目の前の数字を追うことはとても大切です。
でもそれだけでは事業を飛躍的に成長させるのは難しい。
事業の成長には過去の延長線上にないアイデア、イノベーションが必要となりますから。
SONYもアップルコンピューターも「我々はこんな仕事をしていく」とのビジョンがあります。経営者も社員もそれに向かってベクトルを合わせて努力をしている。
だから革新的なアイデアやイノベーションが生まれる。
といって将来の夢を語っているだけでは今年の予算を達成できません。
では、目の前の業績を着実にあげていくことと将来の大きな成長をも目論むことは相反するものでしょうか。そうでないとしたらそんな欲張りなことをどのようにしたら実現できるのでしょうか。
今回はそんな話題です。
世の中はグラデーション
毎度申し上げていることですが、世の中は2ビットで動いているわけではありません。
2ビットとは0と1、ONとOFFのようなもの。白と黒と言ってもよいですね。
0と1の間には小数点以下の数字が無数にあります。白と黒の間にも薄いグレーからほとんど黒に近い色まで無数のグラデーションがあります。
だから今回のお題も「予算数字を達成すること」と「将来の夢を実現すること」は思い切りどちらかに振って考えることは正しいとは言えません。その時、その場でグラデーションの中で立ち位置を考えていくことが大切です。
ただし、「予算必達」と「将来実現したい高潔な理念*」の間には単にグラデーションというだけでは埋まらない大きな違いがあります。
それは議論のレイヤーが違うとでもいうべきことで、そこを掘り下げていかないと仕事はうまくいかないだろうと考えています。
*高潔な理念 PepciCo社長からスティーブ・ジョブズに請われてアップルコンピューターに移籍したジョン・スカリーがスティーブ・ジョブズとビル・ゲイツが共通して保有していたと述べている。
この目で見えるもの、見えないもの
予算必達って目に見えないものを追いかけていること
ここで質問です。
「予算はこの目で見えるものですか?」
あるいは、
「売上高や営業利益はこの目で見えるものですか?」
「予算にあとどのくらい足りないかは目で見えますか?」
いかがでしょうか。
たとえば売上予算1億円というとそれは目に見えるでしょうか。
「えっ?確かに1万円札を積み上げた姿を見ることはできないけれど、数字で表せば100,000,000円と目に見えるし、棒グラフにすればもっとよく視覚化できる」と思いますか?
そこに落とし穴がある、と僕は思っています。
仮想通貨は怪しい?
何年か前から「仮想通貨」というものが世の中に出回り始めました。ビットコインとかいうやつですね。
この仮想通貨、扱っている人はどのくらいいるのでしょう。この記事を読んでいる皆さんはやっていますか?
実は僕はまだ経験がありません。
取り扱った経験はありませんが、それは決して仮想通貨が怪しいとか大損するリスクを心配しているからではありません。
優先順位として今は他にやることがあるからとでも言いましょうか。まあそれも言い訳っぽいですけれど。
それはさておき・・・
上でちらっと書いたように仮想通貨は何か怪しげとの印象を持っている人は少なからず存在します。本当のお金と違って信用できないイメージですね。
僕はそんなことはないと思います。
というよりむしろ本当のお金って何?銀行のキャッシュカードで引き出せる一万円札とか千円札のことでしょうか。
お金はそもそも人間が作り出したものです。その点でもともと仮想の世界のものです。
ご飯1合の価値は変わらない
日本人の多くが毎日口にするお米を例に説明しますと・・・
1反歩の田んぼから収穫できるお米の量は概ね500〜600kgと決まっています*。
これはその年の景気動向などで変わるものではありません。変わるとしたら天候不順などの影響によるものです。
*実は江戸時代の反収(田んぼ1反あたりの米の収量)は1石(約150kg)でしたから当時から比べると約4倍に増えています。これは品種改良や苗代の進化、農薬の発明などによるところでしょう。
昔の算数で説明すると田んぼ1反で収穫できるお米を1石といい、それはちょうど人ひとりが1年間に食べる量でした。また人が1食で食べる米の量を1合と数え、1日3食ですから1石は1000合と計算されました。
(米物語、水田とご飯 水田一枚でご飯は何人分)
人はだいたい朝昼晩に1合ずつのご飯を食べればお腹がちょうどよいくらいにふくれたわけですね。今日はよく働いたから余計にお腹がすくようなことはあるにせよ、最近お米の価値が下がったから毎食2合食べないとお腹いっぱいにならないよ、などとはなりませんね。
お札や硬貨の価値はその時々で変わるもの
でもお金は違います。
僕が子供の頃は1ドル360円でしたが今では100円ちょっとです。1990年代には80円を切ったこともあります。アメリカのスーパーで1ドルのサンドイッチを買うことで計算すると、今は100で変えるのに昔は360円もかかったわけです。
円・ドルの為替レートを抜きにして日本国内だけを考えてもよいですね。
たとえば吉野家の牛丼は並盛が現在税込387円(2021/10月)ですが、280円の時代もありました。多少中身も違ったかも知れませんが、並盛1杯食べたらお腹がいっぱいになるのは昔も今も変わりません。
洋服も同じです。ユニクロや紳士服のアオキのようなファストファッション企業の隆盛の影響で百貨店の背広の値段も昔に比べればずいぶんと下がりました。
1万円の価値、つまり1万円で何が買えるかはその時その時で変わるのです。
なぜ価値が変わるのかといえば、それが仮想だからです。お金は人間が作り出し、このくらいの価値のあるものと仮想しているからです。
言葉を変えるとこの目で見えないものと言うことができます。
いやいやお札や硬貨の形で目に見えるじゃないかと言われそうですが、それはあくまで便宜上印刷して視覚化しているだけです。
だから1反歩の田んぼで取れる米の収量は決まっていますが造幣局の印刷工場ではその気になればいくらでも1万円札を印刷できます。仮想だから。
目に見えないものだから預金通帳に印字して見えるようにする。会社ではお金の動きを見えるようにエクセルなどで計算して帳簿を作成するわけです。
「予算必達」とはこの目に見えないものを目指していることにほかなりません。
将来実現したい夢は目に見える形
一方、将来こんな事業をやりたい、こんな会社にしたいなど、ジョン・スカリーの言うところの「高潔な理念」はどうでしょうか。
僕らの子供頃はテレビでスーパージェッターとかウルトラマンがはやっていました。スーパージェッターは主人公の男の子・ジェッターが腕時計型のリモコンに向かって「流星号!流星号!迎えに来て」というと自動運転の車(しかも空も飛べる)がビューンとやってくるというものでしたが、今や自動運転や空飛ぶクルマが現実となるのにあと少しです。
ウルトラマンシリーズでは腕時計に通信機能がついていて隊員が外から本部と話すことができる。しかも文字盤には相手の顔が映っていましたからまさにApple Watchです。
つまり「高潔な理念」が「こういう未来を作りたい」ということだと定義すれば、それは目に見える、形にできるものだということなのです。
「予算必達」と「高潔な理念の実現」の違いは目に見えないものを追いかけるか、目に見えるものを追うのかの違いなのです。
この続きは次回に。
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