プロローグ
前回、事業の将来像を描く会議の中で出てきた売上げや利益計画に対して「それは必達目標か」と聞かれた話を書きました。
予算数字が常に頭から離れることのない営業パーソンの性、責任感は素晴らしいものの将来のジャンプに向かってアイデア出しをしていく過程ではあまりそこにこだわることも得策ではないと書きました。
とはいえ人間そう簡単に切り替えられるものでもありません。
ではどのようなアプローチをしていったらよいか。
それを考える前に「必達目標ですか?」はどのような心理メカニズムから出てくるのかを考えてみました。
「必達目標ですか?」の質問が意味するところ
この質問をした営業パーソンの価値観は何でしょうか。
「立てた計画は必ずやり遂げなければならない」
「予算数字は会社に対する公約」
「予算未達は悪」
そんな風な価値観を持っていそうです。
素晴らしい責任感ですね。
おそらく社会に出てから「予算必達」が常識の世界で仕事をしてきたのでしょう。
世の中には「予算は立てたけれど、どうせ達成できっこないや」との雰囲気が蔓延している会社もあります。自分で立てた計画に会社から数字を上乗せされて何の根拠もない予算になってしまうようなことが常態化しているとこういう気持ちになりますね。
これでは営業パーソンの「やる気」にも影響しそうです。
その点「予算必達が当たり前」「未達は悪」の考え方が経営層から営業現場までピシッと通っている企業は強そうです。
予算編成時に想定しなかったことが起こった時にもなんとか対策を考えてカバーしようとする力が強く働きそうです。
ただ何事にも表と裏の二面性があります。今回の話で言えば計画は必達であるとの責任感が強いとその反対側で何が起きるのでしょうか。
「達成確率の高い目標を計画する」
こうなりますね。大抵の場合。
例えば対前年105%の予算を作ることになる。
そうなると具体的対策は多くの場合「頑張る」となりがちです。
もし対前年200%の予算を作ったとしたらいくら「頑張って」も到底達成できないことは誰の目にも明らかです。
だから今までと違う何かをやらなければと頭を回らせることになります。
「予算必達」が強すぎると画期的なアイデアを考えるより実行可能な常識的作戦に落ち着きがちとも言えます。
世の中を切り開いてきた企業はどのような社内常識を持っていたのでしょうか
たとえばiPhoneメーカーのアップルコンピューターでは予算必達が企業文化の基礎にあるのでしょうか。
アップルコンピューターの創始者、故スティーブ・ジョブズは大学を中退して家のガレージでコンピューターを作り始めました。
後にスタンフォード大学卒業式でのスピーチで話していたようにマッキントッシュは「綺麗で多彩はフォント」をコンピューターに搭載した初めてのコンピューターでした。
その開発アイデアに繋がったのは彼が中退後に興味本位で非公式に聴講したカリグラフィーの授業で、当時はとても将来のコンピューターの仕事に役に立つとは思っていなかったそうです。
ではジョブズがマッキントッシュに多彩なフォントを搭載したときに「これで売り上げを何ドル増やそう」との綿密な計画を立てたでしょうか。
iPhoneを世の中に初めて出したときに必達可能な販売計画を作ったでしょうか。その前にiPodを開発した時はどうだったでしょう。iTunesはどうでしょうか。
スティーブ・ジョブズがペプシコーラ(PepsiCo)のCEOだったジョン・スカリー(John Sculley)をアップルコンピューターにスカウトしたときの口説き文句は有名です。
「残りの一生を砂糖水を売って過ごすか、それとも世界を変えるチャンスを手にしたいか」
自分より16歳も年上の世界大手企業の社長に対して言うのにこれほど無礼な言葉もないでしょう(笑)
でもこれこそがジョブズが一番大切にしてきた価値観なのだろうと思います。
ジョン・スカリーはこうも話しています。
「“高潔な理念”とのフレーズがビジネスの現場で使われるのを初めて聞いたのは1980年代でスティーブ・ジョブズとビル・ゲイツからからだった。あの2人は多くの点で意見が合わなかったが、この点では一致していた。彼らはそれぞれ、世界を革新しようとしており、思考のための、本当に生産的なツールを作ろうとしていた。それが彼らの“高潔な理念”だった。」
amazonのジェフ・ベゾスやテスラ(Tesla)のイーロン・マスク(Elon Musk)も同じだと思います。
世の中を切り開いていくのに売り上げ予想なんて考えませんよね。
我々に身近なところでは・・
海外企業の話だけではピンと来ないかも知れません。
もっと身近な国内企業の例を出しましょう。
以下はSONYのウェブサイトから「東京通信工業株式会社設立趣意書 – 井深 大」のページを抜粋したものです。
(全8項目の中の第一番目のみ抜粋)
真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設
一、不当なる儲け主義を廃し、あくまで内容の充実、実質的な活動に重点を置き、いたずらに規模の大を追わず
一、経営規模としては、むしろ小なるを望み、大経営企業の大経営なるがために進み得ざる分野に、技術の進路と経営活動を期する
一、極力製品の選択に努め、技術上の困難はむしろこれを歓迎、量の多少に関せず最も社会的に利用度の高い高級技術製品を対象とす。また、単に電気、機械等の形式的分類は避け、その両者を統合せるがごとき、他社の追随を絶対許さざる境地に独自なる製品化を行う
一、・・・・・・
・・・・
以上がSONYの創業者・井深大の作成した会社設立の目的と経営方針です。
もちろん経営方針に「売り上げ至上主義」や「利益絶対主義」「予算必達」などと掲載する企業はありません。
しかしこのSONY設立当時(当時は東京通信工業)の方針に描かれた文章からは井深さんか目指した理想の姿が生き生きとした生命力とともに伝わってきます。
現在のSONYのウェブページ中にもページを割いて紹介されていることは、これこそSONYの最も大切にしている価値観と言ってよいと思います。
崇高な企業理念があればいいのかというと・・
それではSONY(東京通信工業)の設立趣意書のような崇高なビジョンがあれば、目の前の予算数字だけにとらわれることなく、世の中を切り開いていくことができるのでしょうか。
それもちょっと違う気がすることでしょう。
数字を追うだけではだめ、崇高な経営理念を語るだけでもだめ、となるとどうすればよいのでしょう。
結局のところ「数字かビジョンか」のような2ビット(0と1の世界)で考えていては解は見つからないということですね。
世の中は2ビットで成り立ってはいません。常にグラデーションでできているのです。
次回はそのあたりを掘り下げていきたいと思います。
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