前回、具体と抽象の往復運動について書きました。
今、稲盛和夫さんの著作「生き方」(サンマーク出版)を読んでいます。
その中に若き日の稲盛さんが松下幸之助さんの講演会に出かけたときの話が出てきますので共有したいと思います。
松下幸之助さんの講演を聞いて失望した人たち
稲盛さんの「生き方」の39ページから41ページにかけて描かれているシーンです。
この章の主題は「事をなそうと思ったら、まずこうありたい、こうあるべきと誰よりも強く熱意を持って願望することが大事」という点にあります。
おそらく早くから稲盛さんの心にあったその考え方が明確に映像化、言語されて頭に描かれた瞬間が、まだ無名の中小企業の経営者だった松下幸之助さんの講演会だったということでしょう。
松下さんの講演を聴いたのはこのときが最初だったと書かれています。
松下幸之助さんはその講演の中で「ダム式経営」の話をされたとのことです。
ダム式経営とは、ダムが天候や環境に左右されることなく水量を常にコントロールするために作られているように、経営も景気のよいときこそ景気の悪いときに備えて蓄えをしておくことが必要というものですね。
講演の最後に聴衆のひとりが質問に立ったそうです。ダムを作る余裕がないからこそ苦労しているのであって、いまさらダムの大切さを聴いても仕方がない。どうしたらそのダムがつくれるのかが聴きたいのだ、ということです。
それに対する松下さんの返答が奮っています。「そんな方法は私も知りませんのや。知りませんけども、ダムをつくろうと思わんとあきまへんなあ」とつぶやかれたということです。
同じ話を聞いた稲盛和夫さんは体に電流が走るような大きな衝撃を受けた
この松下さんの答えに会場では失笑、失望が広がったそうですが、稲盛さんだけは同じ事を聞いて体に電流が走るような大きな衝撃を受けて、なかば茫然と顔色を失ったと書いています。
稲盛さんは他の聴衆と異なり、方法論を求めずに何より「思い」が必要だとの点にフォーカスして理解したわけです。
同じ松下幸之助さんから同じ話を同時に聞いているのに、なぜ稲盛さんの体にだけ電流が走ったのでしょうか。
ひとつには稲盛さんが経営を進める中で本当に困っていた。会社をなんとかしたいとの思いが人一倍強かったということもあるかもしれません。
そのため松下幸之助さんの一言一句を聞き逃さないように集中して聞いていたので失笑なんてこぼす暇がなかった。あるいは松下さんが言葉足らずだったとしても何を言いたいのか稲盛さんの頭の中で想像力を目一杯働かせ、なんとか松下さんの考え方を理解したいとの気持ちが強かったのかもしれません。
そういうこともあったのでしょうが、ここではもうひとつ「ダムを作る」との具体を高度に抽象化していたのではないかとの仮説について話したいと思います。
抽象化できずに安易に答えを求めても・・
稲盛さんは松下さんの「そんな方法は私も知りませんのや。知りませんけども、ダムをつくろうと思わんとあきまへんなあ」という答えを聞いて体に電流が走りました。
これは決して「松下幸之助さんでも知らない」ことに衝撃を受けたわけではありますまい。ショックを受けたのはまさに「ダムをつくろうと思わんとあきまへんなあ」とのセリフに対してだったでしょう。
松下さんの言葉から何よりやろうとする思いのたけがどの程度あるのか、それが最重要なのだと悟ったのでしょう。
考えたらダムの作り方は日本全国数多あるダムの一つひとつで異なっているはずです。地形や地質、冬季に凍るほど寒い地方か南の温かい地方かによって工法は変わるし工事スケジュールの組み立ても違うでしょう。
しかしダムを作ることの目的はどのダムも変わりません。「天候や環境に左右されることなく水量を常にコントロールすること(治水)」、そして「小雨の年でも水不足を起こさないようにすること(利水)」にあります。
おそらく稲盛さんは松下幸之助さんの話を聴きながらそれをご自身の頭の中で高度に抽象化していたのでしょう。
企業の経営も景気のよいときこそ景気の悪いときに備えて蓄えをしておくことが必要だというのは雨が降らなくても水不足にならないようにダムを作るのと同じ、経営として大切な普遍的な課題です。
でもそのために経営者が、それぞれの企業が、何をするのかといえば、ダムの立地により作り方が様々であるように、企業の置かれた環境によって十人十色であるはずです。
もっと言えば、おそらく講演会で松下さんが「どうしたらそのダムが作れるのか」を知りたいとの質問に正面から答えたところで、それは「松下電器産業でこうしました」に過ぎません。
そしてそれはたいていの場合、他の会社には当てはまりません。
聴衆はおそらく「ふーん。なるほど。でもうちの会社では、うちの業界には当てはまらないな。」と思うだけでしょう。
そして講演会が終わって家に帰り着く頃には松下さんの話はすべて忘れてしまっていることでしょう。
おそらく稲盛さんはそこまでわかっていたのだと思います。
稲盛さんは松下さんの話す一語一語を頭の中で抽象化していたからこそ、「ダムを作らなければならない」話を聞いたことで体に電流が走った、さらにはこの言葉さえ聞ければ十分で「ダムの作り方」なんて聞く必要もなかったのでしょう。
楠木教授が指摘するように、やはり名経営者と言われる人は高速で振り幅の大きい具体と抽象の往復運動をするものですね。
エピローグ
ところで今回なぜ稲盛さんの「生き方」を読むことにしたのかについて説明します。
実はこの本を購入したのはずいぶん前なのですが、半分くらいまで読んだところで積ん読状態になっていました。他に同じ稲盛さんの「働き方」「稲盛和夫 魂の言葉108」も積ん読の山を構成していたので、歳のいっている僕がいまさら読むよりもまもなく就職1年目を終える息子が読んだほうがためになるだろうと考え、彼にあげるつもりでした。
とはいうもののどんな本だったっけという気持ちでまず「生き方」をパラパラと読み始めると、いやいや歳のいった男にとってもとてもよい本!
まだ3冊全部読んだわけではありませんが、たとえ息子でも渡してしまうのが惜しい、ずっと手元に置いて時々読み返したいと思うようになりました。
だから息子には別途購入してプレゼントしようと思います。
コメント