この世の中は「ゼロ、イチ」ではなく、「グラデーション」でできている

色鉛筆

前回のブログ「自分はそういう考えをしないけれど、言っていることはわかる それが多様性の尊重」のつづきです。前回は、千葉大学教育学部附属小学校の松尾先生のメールマガジン(mag2 0001211150 「二十代で身につけたい!」教育観と仕事術)に基づいて「多様性を認めることは、自分と違う考え方、価値観を認めること」について書きました。

グラデーション

実は、松尾先生はメルマガの中でもう一つ重要なことを記載しています。まずジェンダーフリーの基礎知識として、性を下記のような4つの要素で分けています。
からだの性  女←・・・→男
こころの性  女←・・・→男
表現する性  女←・・・→男
ここで大切なことは「女←」と「→男」の間にある「・・・」です。松尾先生の文章をそのまま紹介すると、「それぞれの人が、どこかに属している。また、恋愛対象の性について尊重されても、相手が女性だったら(あるいは男性だったら)誰でもいいという訳でもない。細かな個人の好みが完全に尊重される世界である」

つまりからだの性にしろ、こころの性にしろ、表現する性にしろ、単純にあなたは「女」、私は「男」、彼は・・・と分けられるものではないと言うこと。より「女」寄りだったり、より「男」寄りだったり、そこには無数の段階、濃淡がある。松尾先生はそれをスペクトラムと表現しています。

このブログの中では松尾先生のスペクトラムに対し、グラデーションとの言葉を使いますが(その理由は後述します)、この考え方あるいはものの見方、受けとめ方はとても大切なことだと思います。私などは日頃から、ともすれば右か左に決めつけないと気が済まない人が多いと感じているものですから、このスペクトラム、グラデーションと言う言葉は刺さりました!

報道はゼロかイチか2ビットの考え方ばかり

テレビ報道は、あるいは政治の世界では、こうなったのはGoToキャンペーンのせいだ、あれは失敗だったと大騒ぎ。年明けには緊急事態宣言の必要を感じていないと言った舌の根も乾かぬうちに緊急事態宣言発出しているのはどう言うことだ!とシュプレヒコールがかしましい。でも元々GoToなんてそんなもの、だいたい国内のホテル・旅館業の倒産は去年の1〜6月の半年で、一昨年の1年の件数を超えていたわけです。あのまま何もしなかったらさらに倒産が続いて失業者が溢れていたかも知れない。飲食業だってそうだし、私の勤務先の関係では畜産業、食肉加工工場の落ち込みは酷かった。ようやく秋からGoToのおかげで少し出荷が増えてきている様子が見て取れたのでよかったなと思っていたわけです。

そして感染状況によってはまた綱を引けばよい。経済の状況と感染の状況を両睨みしながら出したり引いたりして運営していく、こんな当たり前のことはみんなわかっているはずなのに、やるべきじゃなかった、いややったのは正解だったのゼロかイチかの択一でしかモノを捉えない論調が目立っていました。緊急事態宣言だって同じ。ギリギリまで状況を見つめながら臨機応変に対応を考える、そりゃもちろんくるくる変わってばかりでは企業も国民も振り回されるだけですが、今回は別にそこまで振り回されたとは言えない程度だと思います(いや、飲食業界は大変だと思います。振り回されていないと言うのは、押したり引いたりが頻繁で振り回されると言うことではなかったと言う意味です)。そして今度は政府が夜だけでなくランチも家でなどと言い出す始末。ほんとにオールオアナッシングの世界。

PCR検査の陽性者が増えている件にしても、今後ブログにも書こうと思いますが(PCR陽性が増えていますが、新型コロナを正しく怖がるために)、PCR検査の「感度」を踏まえたら偽陽性が多く混ざっている可能性もある。統計学を少しかじった人なら誰でもわかることだけれども、今そんなことを口にしようものなら、国民をあげて大変モードになっている中では非難集中することになるから誰も言わない。本来あるべきはそうではないと思います。統計的には偽陽性がそれなりにいるはずではあるが、つまり冬になって風邪をひく人が増えた結果の部分もあるとは思いますが、それでも後になって手遅れになっては遅いので、ここはリスクを極力抑える方向で皆さん我慢しましょう、と言えばよいのにそうならない。

2ビットは日本特有? それともビジネス世界特有?

これって日本人の特性なのでしょうか。こんなことを思うのは、ここ数年続いたイギリスのEU脱退交渉を見ると考えさせられることが多かったからです。スタートはEUはマルかバツかの2択で始まり、英国国民がエモーショナルに行き過ぎてこうなってしまった感もありますが、その後の英国政府とEUの離脱交渉はあれだけ暗礁に乗り上げ、どう見てもこりゃイギリスダメだわ〜と見えていたのに、ちゃんと着地点を見出していきました。やはり欧州の民主主義の歴史、大人さ加減を見せつけられた気がします。

話が少し脱線してしまいましたが、足元を見ると、私の生きているビジネスの世界も往々にしてゼロかイチかの2ビットで考える人が多い。この仕事を進めていいのかいけないのか、はっきり決めてくれと上司に迫る社員。お前はやる気があるのかないのかと2択で迫る上司。もちろん自分も人のことを言えた義理ではありません。

世の中はゼロとイチだけではありません。その間はグラデーション。ゼロに近いところからイチに限りなく近いけれどもイチではないところまで。中にはゼロからもイチからも離れているようなケースもあります。無理にゼロとかイチとかを決める必要はないし、むしろそんなことは決められない。常にそんな世界で生きている人は誰かなと考えて思いついたのがアートの世界です。

アートの世界はグラデーション

ここ1ヶ月ほど、Adobe Creative Cloudの有料メンバーが受講できる講座をいくつか受けているのですが、その中に「フォトことはじめ」というものがあります。これはAdobe lightroomのアプリケーションを使って、写真を撮影したり、撮った写真を補正したりするテクニックを教えてくれる講座で、シンヤB氏が講師を務めています。まだまだ始めたばかりですが、それでも、これまでiPhoneでパシャッとシャッターを押して終わりだったものが、3分割法で構図を考えたり、露出を変えて3パターンの撮影をしたり、撮影した画像(RAWデータ)のコントラストを補正したりすると見違えるような写真になることが少しわかってきました。

で、シンヤB先生の実演を見ていると、画像を補正(この業界では現像と呼んでいるようですが)するときに、画像そのものだけでなくヒストグラムなるものをを見ながらハイライト側が飛び過ぎているとかいって進めるのですね。もう少しホワイトを強くとかブラックを落としてとか、はたまたイエローを、マゼンダを、と言いながら無段階に調節できるスライダーを操作すると、ヒストグラムがやはり無段階に動いていく、画像とヒストグラムを両睨みしながら、このくらいがベストかなと決めていきます。コンピューターアプリケーションの世界ですから当然2ビットのはずなのですが、実際にやっていることは無段階に明るいさや色を調整していく、まさにグラデーションの世界なのです(スペクトラムでなくグラデーションの言葉を使っているのはこの経験からです)。初めての経験でしたが、これ、やってみると大変に面白いのです。ハマります。

Adobe Lightroomのヒストグラム
Adobe Lightroomのライト調整パネル

考えたらいくら2ビットのコンピューター世界といっても、4色でスタートしたカラーディスプレイは256色、1024色と徐々に表示色を増やしていき、今では1677万色を表現できるまでになっていますから、もはや無段階に色調表現ができるといってよい。まさにグラデーションの世界です。

そんなことを習っているときに、冒頭のジェンダーフリーの話を聞いたものですから、頭に浮かんだのが「そうか日々Go or Not Goの選択を判断するビジネスの世界と違って、アートの人たちが生きているのは常にグラデーションでモノを考える世界なのではないか」ということ。それはすなわちアートの人たちの方が考え方、モノの捉え方が柔軟でありのままに受けとめる感性に秀でているのではないか。そういえば絵や写真、工芸、映画、演劇、音楽シーンに生きる人たちの方が早くからジェンダーフリーに寛容だったように思います。思う、だけで実際アートの世界の人たちとの交流が深いわけではないのですが。

非常事態にこそグラデーション・多様性

演劇界に生きる平田オリザさんも、昨年の緊急事態宣言で世の中がライブハウスを始めとするイベント活動をバッサバッサと切り捨てていたときに、「もちろん命は大切。しかし、命の次に大切なものは、人それぞれ違う。ゲームやスポーツが生きがいの人もいれば、音楽に人生を救われた人、演劇がなければ生きていけない人もいる」「文化は社会に必要なインフラであり、それが失われると社会全体が壊れる」「未来のある人材が、今回の危機をきっかけに負債を抱えて芸術活動を辞めてしまうかもしれない」と警鐘を鳴らしていました(事業構想大学院大学「事業構想」平田オリザ氏 文化芸術は社会に不可欠、自ら若手支援・人材育成)。

平田オリザさんが指摘するように、東日本大震災の時には、避難生活が長引く中で、心の健康を保つためのアートボランティアが盛んに行われていましたし、多くの人の心を慰めたのは、長年歌い継がれている音楽でした。今回のコロナ禍だって、家人や娘を見ていると「嵐」がいてくれてよかった、これから「嵐」としてテレビに出てこなくなる世界がどうななるのだろうと心配になるほどです。ビジネス世界の2ビットは基本的には損か得かがベース基準になっているか、または社会に認められる価値であるかどうかを問われる「存在理由のゼロイチ」なのに対して、アートの世界は「ありのままにグラデーションの存在、現象を見る」素直さ、柔軟性を備えているのかも知れないと考えています。

色鉛筆

この記事が気に入ったら
フォローしてね!

よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

この記事を書いた人

山田文彦
 株式会社クレハトレーディング代表取締役社長
 社員の力をどうやって高めていくか? これが毎日考えているテーマ
 日本一の会社にしたいと真面目に考えています

コメント

コメントする

目次