ずいぶんと長いタイトルになってしまいましたがこのような実感をお持ちではないでしょうか。
前回の話の続きでもありますが・・・
うまくできたやり方を覚えておいて次の似た場面で同じようにやってみたのに今度はダメだったということはありませんか?
一方でダメな結果に終わったことはどんな場面でもやっぱりダメだったりしませんか?
これってどういうことでしょう?
同じようにうまくやったつもりでも環境が違えば・・
若い頃にバリバリの営業マンで鳴らした上司のアドバイスにしたがってお客さんと商談してきたのに結果はうまくなかった・・・
そんなことって仕事をしているとよくあるものです。
その理由は明らかですね。時代が違うからです。
もっと言えば時代が変わらないとしても相手が違えばそうなります。
相手が同じであってもその人の置かれた環境が違えば、上司が変わっていれば、会社の業績が違えば、また結果も変わります。
つまり成功体験を再現するにはありとあらゆる環境、シチュエーションが揃っていなければならないというわけです。
うまくいかなかった経験も同じはずですが
反対にうまくいかなかったことはどうでしょうか。
やはり以前に失敗した仕事のアイデアも時代や環境が変わればうまくいくこともあり得ます。
だから経験豊富な上司や先輩から「それ、前にやってうまくいかなかったからやめたほうがいい」と言われたからってすぐに諦めるのはナンセンスだとものの本に書いてあったりするわけです。
でも自分の経験を振り返ると、確かにうまくいったことはなかなかそのまま再現できるものではないけれど、うまくいかなかったことは何度やってもやっぱりダメとなることが多い気がしています。
「これをやれば必ず成功する」法則はないけれど、「これをやったらおしまい」というものは存在していると思うのです。いかがですか?
これまでのなかなか新事業への取り組みが掛け声倒れで終わっているので、会社ではいつも言っています。
まず新しい一歩を踏み出そう。初めての挑戦だからうまくいかないことが多いだろうけれどそれで構わない。
今僕らが立っているのは経験値を高めて「引き出しを増やす」ステップ。うまくいくかどうかは二の次。
むしろうまくいった経験は引き出しにならないことが多い。なぜなら同じ環境、同じタイミングが揃わないと同じ結果にならないし、まったく同じ環境なんて二度と来ないから。
一方うまくいかなかったことこそが引き出しを増やすことにつながるもの。失敗には「これをやったらおしまい」というものがある。
他がどんなにうまくできてもこれだけはやっちゃダメというものがある。
だからうまくいかなかった経験値を高めて引き出しを増やしておけば、次に新しい取り組みをするときに「やってはいけないリスト」がたくさん手元にあるからそれをしないように進めていけば成功確率は上がっていく。
だから今はうまくいかなくてよいので大いに挑戦し引き出しを、経験値を増やしていこう。
ではなぜ「うまくいった経験」は再現性が低く、「うまくいかなかった経験」は再現性が高いのでしょうか。
具体と抽象の往復運動と言いますが
「具体と抽象の往復」とはよく言われる言葉です。
一橋大学教授の楠木建さんは優れた経営者は「具体と抽象の往復運動の振れ幅がとてつもなく大きく、そして強烈に速い」と指摘しています。
簡単に説明すると次のようなことです。
この目で見たり経験したりした事象そのものは具体的なことです。その経験、体験をそのままに留めておくことでは別の場面での応用がききません。
経験や体験を脳の中で一度抽象レベルに引き上げ一般化する作業を行って理解し頭に刻み込んでおくことが大切で、そうしておけば次にまったく同じ場面でなくても一度抽象化した知見を再び新たな場面に即して具体レベルの落とし込むことにより以前の経験値を生かすことができる。
これこそが学びである。
概ねそんなところでしょうか。
これ、やってみればわかりますが目の前で起きた具体的な現象を抽象化するのは慣れないと難しいものです。
たとえば外部講師のセミナーでのありがちなシーンとしては、せっかく聞いた話を「自分たちの業界は違うから当てはまらない」などと考えてしまうことですね。
これは今聞いた話を具体的事象のままにして自分の仕事に当て嵌めようとしているからです。
セミナーで気づきを得る人は講師の話を抽象化して自分の仕事に当てはめることのできる人と行ってもよいと思います。
そういう人はセミナーに限らず得意先との雑談の中でも、仲間の報告を聞いていても、本を読んでも常にその内容を自分に活かせることができないかとの思考をしています。
もっと言えば映画を見ていてもテレビドラマを見ていてもさらにはマンガを読んでいても歌の歌詞を聞いてもそれを抽象化して自分に取り込んでいるものです。
ホリエモンこと堀江貴文さんは、童話桃太郎の最初のシーンで川に洗濯にいったおばあさんが上流からどんぶらこっこと流れてきた大きな桃を拾って持ち帰ることを指して「これが大切なのだ」と言っています。
大きな桃が流れてくるのを見て多くの人はそれをそのまま見過ごしているのではないか。おばあさんはあえて手を出して持って帰ったからこそ桃太郎が生まれ鬼退治に繋がったのだ。だから僕らは目の前にやってきたチャンスにまず手を出すことが大切なのだ。
これなどは童話すら抽象化して自分に生かしている例といえます。
(ホリエモンは自分に生かすというより、このたとえを若い人たちに披露してみんなの思考を変えていこうとされているのだと思いますが)
Youtube講演家として活躍されている鴨頭嘉人さんは「プロの講演家は具体と抽象をよいバランスで織り交ぜて話を組み立てることが必須」と話しています。
前述の楠木教授が指摘する「具体と抽象の往復運動の振り幅を大きくする」のは極限まで抽象化することにより後々応用できる場面が広がることを意味しているのでしょうし、そのスピードが早いというのは、1日の中でこの振り子運動を何十回もやっていることになるのでしょう。
デッサンはいいトレーニングになる
さて「うまくいったことは再現性が低く」「うまくいかなかったことは再現性が高い」話に戻ります。
これはおそらく我々の思考の習性として、うまくいったことはその具体的現象のまま記憶しがちなのに対し、うまくいかなかったことは自然と抽象化して記憶に残されるからではないでしょうか。
人間誰しもうまくいったときは嬉しいものです。だからその経験がそのまま映画のワンシーンのようにフルカラーで何なら辺りの気温や匂いもそのままに頭に刻み込まれる。時折りそのシーンを思い出してはほくそ笑んだりする。
一方、うまくいかなかった経験はあまり思い出したくないもの。だからそのシーンはできるだけ具体性を引き下げてあんなこともあったな程度の記憶に留めたくなる。
その結果成功体験は具体のまま、失敗体験は抽象化されて記憶に残るということではないかと思っています。
そう考えると我々はうまくいったこと、それは自分でうまくできたことに限らず講演会や周囲の人から聞いた話であったとしてもそれを抽象化して頭に刻むトレーニングをしていけばよいわけです。
これは語学の学習と同じ、勉強ではなく単なるトレーニングです。
もちろんうまくいかなかった経験の抽象化もトレーニングすればするほど振り子の振れ幅は大きく速くなっていきます。
ビジネスマンとして大成するには必須のトレーニングだと思います。
ではどんな風にトレーニングをしたらよいか。
まずは日々の経験あるいは目にしたことをその都度抽象化して考えることですね。とはいえ普段そんなことをしていない人が今日からやろうとしてもなかなかできるものではありません。
日常忙しく生きている中ではどんどん時間が過ぎ目の前を多くのことが通り過ぎていきます。気がつくと何もトレーニングできていないということになります。
僕が今年の5月ごろに受講したセミナーはその点で新たな気づきを得られたものでした。
それはデッサンすることです。
講座そのものはデザインマネジメントの研修会だったのですが、その基礎はりんごやワイングラス、布などをデッサンすることから始まりました。
僕などは絵心に乏しいものですから苦労しましたが、デッサンすることを細かく分解すると次のようになります。
- 対象物(りんご、ワイングラス、白い布)をよく見る。
⇨目の前の具体をみる。 - 対象物をどのようにデッサンするのかを頭の中で組み立てる。光と影、色合い、遠近感などを鉛筆でどのように表現するかを考える。写真を現像するのと異なりすべての情報を表現できないので何を捨て何を取り込むのかを決めなければならない。
⇨抽象化 - ❷で頭の中に計画した通りにスケッチブック上で鉛筆を動かして表現する。
⇨再び具体化
これ、実際にやりましたが「具体と抽象の振り子運動」のトレーニングとしてはよかったですね。
特に何を描いて何を省くかは慣れと練習の世界ですが繰り返しデッサンし、また先生を始め他の人の作品を見ていると段々とわかってくるものです。
振り子の幅を大きく、そして速くが課題です
というわけで僕自身の現在の課題は振り子の幅を大きく速くすることですが、目下のところは大きさ、速さよりも1日のうちに何回振り子の往復運動をするかをテーマとしています。
目の前に起きている光景や車内でのメンバーとの会話、自分自身の日々の経験の一つひとつを丁寧に抽象化すること。
それを繰り返して習慣にすることを現在時点の課題としています。
コメント