会社には、「工場さん」や「営業さん」という名の人は存在しません。

前回の「会社では、上司・先輩は、こちらから尋ねなくても教えてくれるほど親切ではないが、尋ねても教えてくれないほど意地悪でもない」に続いて、以前に会社の先輩に言われた話をもうひとつ紹介します。それは会社には「工場さん」なんてどこにもいないよ、という話です。

立場が違えば考え方も異なる。工場が理解してくれないとこぼしたりしていませんか。

営業職を20何年も続けた経験を思い起こすと・・

私が3年前まで勤めていた会社は化学工業のメーカーでした。
メーカーですから当然工場があり、そこで生産した製品を営業活動により販売するのが事業の骨格になります。

私は大学を卒業した直後は工場の人事部門に配属され、そこで8年間過ごした後に、東京に転勤して営業職となり、以降部署は変わったりしましたが(つまり担当製品が変わりましたが)、営業職を都合20年以上務めたことになります。

お得意さんを満足させるには社内他部門の協力を得る必要のあることも

営業職をされているかたは皆さん同感と言ってくれると思うのですが、お得意さんというものは色々と勝手な要求を突きつけてくるものです。失礼、勝手というのは要求された側の理屈ですね。お客さん側に立って言えば至極当たり前の要求だったり要望だったりするわけですが・・。

営業担当としては目の前のお客様の声は天の声です。こういうことができないかなと言われれば、何とか実現したいと思うもの。もし自社でできずに競合社に一足先にやられたりするとたちまち商売を失うわけですから真剣です。

それが自分の部署の努力で完結するものでしたら造作もない、自分が苦労すればいいだけなのですが、結構な確率で工場や研究所の協力を得なければならないことも多い。そんなときには工場などに「お得意さんからこれこれの話が来ているのだけれど、品質のこの項目を少し上げてもらえないだろうか」などの話をするわけです。

社内でも損得がぶつかり合うことがあるもの

そんなときに問題発生です。

「そんなことをしたら生産コストが上がるぞ。その分高く売れるのか」「そんな手間をかけるだけの人がこっちにはいない」などなど・・。

そうすると営業サイドでは上司や仲間に報告を上げることになります。「工場が無理だと言っています」「工場が協力してくれません!」

逆の場合もありますね。今度は工場サイドで、「営業がまた無茶なプロセス変更を言ってきた」「うちの営業はお客さんにちゃんとモノが言えないから困る」などです。

直接、相手の名前を明示してコトの内容を説明すると角が立つような・・

君たち、工場さんってどこにいるんだ?

こんな話をしていると、件(くだん)の上司が入ってきます。「君たち、工場が言うことを聞かないとか、工場が理解してくれないとか言っているけど、うちの会社には工場さんという人はいない。ちゃんと名前で言え!」

上司の言わんとしていることはこれです。実際にこちらの依頼を受けてくれない相手は生身の人間のはず。解決するためにはその人と話さなければならないのに、それを「工場が」と言った瞬間に相手があいまいになる。それは、対立をしっかりと受け止めて解決策を見出すことから逃げていること。そんな考え方ではスピードを持ってコトを解決できない。

物ごとをあいまいにすることはで誰も傷つけずに済むように見えるが、その実自分に火の粉が降りかかりたくない心理の現れでもある

名前を出さないのは遠慮の心。仕事に遠慮は禁物。

言われてみれば確かにその通りです。誰それさんと名前を明示しないのは遠慮の心があるからです。心理の底にその人と対立したくない気持ちがあるからです。

それは一見その相手を傷づけずに済まそうとする心理ですが、よく考えると対立することにより、こちらが傷つくのを恐れているとも言えます。

仕事上の問題は、QC七つ道具(30年ほど前に製造業で流行した品質管理手法)を持ち出すまでもなく、事実の明確化が解決の第一歩です。そこをあいまいにしてよいわけがありません。

欧米ではどうなのでしょうか。

こんなとき、欧米ではどう言うのでしょう。彼らはきちっと事実=ファクト=を大切にする文化ですから、名前を上げて話すのでしょうか。

私は海外駐在の経験がないのでよくわかりませんが、向こうでも「またヘッドクォーターズが無茶な指示を出してきたぞ、この忙しいときに」などと言ってそうな気もしますが・・。もし海外に詳しいかたがいらしたら教えていただきたいところです。

会議で誰かが責められた場面で助け舟を出す心理も同様

会社ではこんな場面にもよく出くわします。会議などで、ある営業所の数字が悪いときに「なぜこうなったか」を営業統括部長に詰め寄られたりします。

そんな時は数字が悪い理由を上げていくわけですが、どうしても話の性質上言い訳をしているだけに見えます。そうすると営業統括部長はますます機嫌が悪くなって、「言い訳を聞きたいんじゃない。来月からどうやってキャッチアップしていくかを訊いているんだ!」などとトーンが段々上がっていきます。

そのタイミングです。別の営業所の所長から「でも◯◯営業所のエリアは市場でこんなことが起きているので仕方ないかもしれません」

実は助け舟を出した営業所長は気づいていませんが、この発言は「次に自分が責められたときに誰かに助け船を出してほしい」との気持ちの現れだと考えています。あるいは誰かが叱られ続けて会議の雰囲気が悪くなることに耐えられなくなっているとも言えます。

会議の目的は解決策を議論することにある

でもこの発言は何も建設的な議論を呼びません。

会議を行うのは、誰かを責めるとか、それに対する反省を述べるとか、はたまた責められている人をかばうためではありません。

数字が悪かったら、その解決策を考える。どうやったら少しでもマイナスを減らすことができるのかを議論する場であるはずです。

したがって上記の会議の進め方は、ただただ無為に時間が経過するだけの結果に終わります。そして会議終了後に参加者の心の中は暗くて重たいモヤモヤでいっぱいになっています。

結局、それを解消するには企業文化を変える必要がある

結果としてのマイナスは責を問われない文化

なぜこのような会議になるのでしょうか。

営業所の数字が悪い、予算に届かないケースで言えば、たいていそれには理由があります。決して営業所員がサボっているからではありません(多くの場合)。

でも営業所長にすれば、数値責任を果たしていないのは自分たちが悪いと思ってしまうもの。ですから数字報告の最後に「未達に終わってすみません」とつい謝ってしまいます。そうすると聞いている方も口調が攻撃的になっていく。

本来は未達に終わったとのファクト(事実)とその原因のファクト(事実)をつまびらかにして解決策をみんなで考えることが目的のはずなのに、人を責める会議になってしまう。

数字は情けない結果に終わってしまったが、営業として今月やったことはこれとこれとこれ、と明示する。ここまでやっても上手くいかなかった。何が悪かったのだろう。何が足りなかったのだろう。と、このように会議をリードしていかなければいけない。

そのためにはやったこと、努力をしたことは是とする。その上でそれがうまくいかなかったのだから他の方法を考えようとする文化の醸成が必要です。

エジソンが「自分は失敗したことがない。うまくいかない方法を1万回見つけただけだ」と言ったように。

他部門に助けを求めるコミュニケーションの文化

また、このような会議における営業所長には「数字は悪かったけれど、これ以上やりようもない」との心理も働いていることが多い。

その営業所は担当のお客さんについて社内で一番詳しい人の集まりです。その人たちがやって上手く行っていないのですから、他部門からいいアイデアが出るはずがない。アイデアが出たところで、現場を知らない実現不能な案ばかりのはず。とそう思っていますね。

でも本当にそうでしょうか。もしそうだったら会社組織なんて不要です。その営業所が独立して◯◯営業所株式会社とした方が組織も小さく機動力を発揮できる分よほど良い。

そんなことはないはずです。他部門からいいアイデアが出ないのが現場を知らないからだと言うなら、ちゃんと現場で起きていることを説明したら良い。あるいはもしかしたら知らない故にいいアイデアが出ることだってあります。

まずは周りにサポートを求める。コミュニケーションをとる。これも大切なことです。

前回までに続いてまたコミュニケーションの話になりました。それほどに大事なことなのですね。

ファクトフルネス

上で述べたことは、結局のところ、

  • やったこと、努力をしたことは是とする。その上でうまくいかなかった原因をつきとめて、他の方法を考える
  • 他部門からいいアイデアは出るわけがないとの思い込みにとらわれず、アイデア、サポートを求める

いずれも、起こっている事実=ファクト=から目を逸らせて、責める相手を探したり、思い込みで物事を進めたりしないことです。

一時、書店でも論理的思考やロジカルシンキングをタイトルに入れた本が山積みになっていました。この投稿の前半にも記述したように、問題解決のスタートは事実を見極めることからだと言うのは何十年も前から言われていることです。

それでもなお我々は事実から離れた思考に進みがちだとの点は驚くべきことですが、残念ながらそれが現実です。よほど気をつけないといけないですね。

「ファクトフルネス」という言葉があります。実はこの言葉は造語だそうです。言葉を作ったのは、「FACTFULNESS(ファクトフルネス) 10の思い込みを乗り越え、データを基に世界を正しく見る習慣」の著者ハンス・ロスリング氏。

本を入手されたいかたはこちらから

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「ファクトフルネス」の言葉をを初めて聞いたかた、ハンス・ロスリングさんの考えを聞いてみたいかたは、まず彼のTEDをご覧になるとよいと思います。僕たちが如何にファクト=事実=とかけ離れた思い込みの中で生活しているかを思い知らされます。

このTEDの中で、ロスリングさんは「開発途上国」と十把一絡げにして考えると間違う、「アフリカの国々」とまとめて考えてはいけない、アフリカの中でも経済力の高低にはかなりの開きがある、と述べています。まるで僕らが「工場が」「営業が」「本社が」とひと口に扱ってモノを言うことを諌めているようです。

今回は、事実=ファクト=から目を逸らせてはいけない、オブラートに包んで事実=ファクト=をあいまいに捉えてはいけない、との話でした。

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この記事を書いた人

山田文彦
 株式会社クレハトレーディング代表取締役社長
 社員の力をどうやって高めていくか? これが毎日考えているテーマ
 日本一の会社にしたいと真面目に考えています

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